大判例

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東京高等裁判所 昭和33年(う)236号 判決

被告人 堤藤一 外二〇名

主文

原判決を破棄する。

被告人らはいずれも無罪。

理由

本件各控訴の趣意については、各弁護人ならびに被告人尾関および同羽生田各本人が差し出した各控訴趣意書の記載を引用する。

よつて案ずるに、原判決はその挙示する証拠をもつて原判示事実を認めることができるとして本件被告人らに対し有罪の言渡をした。しかし、その証拠の中心をなすものは、供述証拠であり、しかも、その中に原審公判における一部被告人の自白を含むが、主要なものは関係各被告人その他の検察官等に対する供述調書にほかならない、換言すれば関係各被告人の起訴前の自白調書がその根幹をなしている。なお原判決の挙示する以外の記録中の証拠につき原判示事実にそうものを拾い上げるとしても同様である。そこで本件において有罪の認定を妥当とするためには、これらの自白の任意性ならびに真実性が問題となるわけである。

記録中被告人らの原審ならびに当審における供述ならびに上申書によれば、本件捜査官の被告人らに対する取調の状況について、いろいろ具体的事実を摘示して、いかに威嚇、欺瞞、怒罵に満ちた取調、又時によつては被告人らの健康を無視した取調を続行することによつて被告人らに対し虚偽の自白を強要したかを主張する。これに対し取調に当つた警察官および検察官は、原審ならびに当審においてそのような事実は全くないと簡単に否定の証言をもつて答えている。われわれは、このような具体的事実を示した主張に対しては、その全部を一概にしりぞけがたい感じを持つものである。しかし、断定はしばらくおく。捜査の段階において取調をする側に立つ者と取調を受ける側に立つ者とでは、しばしば事態に対する認識と理解を異にするものである。本件において、たとえ被告人らの自白が証拠上ないし法律上いわゆる任意性がないと断定しその証拠能力を否定することがただちにはむずかしいとしても、当時被告人らのおかれた立場を、記録によつて推察するとき、本件捜査官の取調を受けるにあたつて、少くとも主観的に被告人ら自身は、場合によつては、真実にそわない事実でも「自白」せざるを得ない心理的圧迫を多少なりと感じていたのではないかということは、必ずしもこれを了解するにかたくない。もちろんその圧迫を感じる程度ならびに遅速は、その人の精神力、体力の強弱、社会上の地位、境遇等によつて差があろう。(普通逮捕されてから間もなく自白したという事実はその自白の真実性を物語るものだといわれる。しかし、本件において前述の「差」を考えるとき、たとえば、山口被告が逮捕の翌日、また中島被告が一部について逮捕当日自白しているからといつて、それだけで少くとも彼らの自白は真実の自白だと必ずしも言い切ることはできない。)ともかくここに虚偽の自白の生れる可能性があり、したがつてわれわれは進んで本件自白の態様ならびにその内容等を仔細に検討してその真偽ないし信用性の有無を究明しなければならない。

まず、記録中の全自白調書その他関連した供述証拠中、公訴事実と対比し、贈収賄にかかる金額、その授受の場所、授受の方法、金銭の出所等犯罪事実認定上重要な事項についての供述記載の内容を各事件別に摘記すれば別表のとおりである。かようにして一望したとき、われわれは、ただちに、各事件を通じ、各被告人ごとに、取調の回を重ねるにつれて、短時日の間に右の諸点に関する供述の変転きわまりのないことに驚かされる。犯罪事実はかなり過去のことに属するにもせよ、その内容からみて必ずしも単に記憶ちがいとか感ちがいとかいつてすまされないものがある。(記録によれば、彼らは供述を訂正するたびに、従前の供述は「記憶ちがいであつた」とか、「感ちがいであつた」とか、または単に「嘘であつた」などと弁解したようになつている。)例を長野タクシー事件の小林被告の供述調書にとつてみよう。同人は最初警察の取調に対し、現金一万円入りの封筒二つを作り、長野陸運事務所で羽生田に対しその一つを彼の机の上に差し出し、また他の一つは「他の課員に」と言つて同人に託した、と述べ、三日後の日付の検察官に対する供述調書にも同様の記載があるが、五日後の日付の警察官に対する供述調書によれば、一万円入りと五千円ずつ入りの三つの封筒を作り、一万円入りを羽生田に五千円入りの一つを村山に陸運事務所で彼の机の抽斗の中に勝手に入れて渡し、他の五千円入りを若林の自宅に届けた、というように供述が変り、その後の検察官に対する供述調書の内容も二度目の警察調書と同じようになり、さらにその後一週間を経て検察官に対し若林の分も村山と同様陸運事務所で彼の机の抽斗の中に勝手に入れてきた、また金は封筒でなく、のし袋に入れておいたというように供述を三転させている。(別表参照)次に、右の諸点に関する供述の内容が別個の事件、異る被告人らについて、多くの類似性を有つていることである。授受の金額がほとんど同一に近く、又授受の方法が型のように似ている。反面から言えば、それぞれの個性が感じられない、はなはだ具体性に乏しいということである。(ことに原判決は主として被告人らの検察官調書を証拠として示しているのであるが、それらはしばしば警察調書のしきうつしとも見られることは、両者を対比すればおのずから明らかである。また一部の被告人に対する起訴前の裁判官面前調書も証拠として挙げられているが、それさえも、供述者の心理的観点からみれば、すでに捜査官に述べたことを機械的に繰り返したに過ぎないと言えないこともない。)たとえば前記の例において、小林被告が若林、村山両被告に対し、同人および他の係員らのいるところで、その事務室の机の抽斗を勝手に開けてその中に封筒入りないし包みに入つた現金を入れてきた、というようなきわめて異例に見える方法を述べているが、この方法が、他の事件の浅沼、近藤、田中らの各被告の場合にも見られるのである。偶然の一致というにはあまりに奇妙である。第三に、金銭授受の方法等に関する各供述中に、いちじるしく常識に外れたような言行が、各処に散見されることである。すなわち、さきほどの役人の大勢いる室へ行つて他人の机の抽斗を勝手に開けて現金包みを入れてくるといつたようなものもその一例であるが、又長野タクシー事件の上村政衛が尾関被告の処へ現金をしのばせた菓子折を差し出しながら「この中に現金二万円入つている、堤局長その他にも現金二万円入れた菓子折を山口さんが上げに行つている」など告げたというような、又小海タクシー事件の宮沢被告が、「自動車部長の処へ行つたら不在なので勝手に机の抽斗を開けて現金二万円を入れて置いてきた」と述べているようなのも、そのたぐいに属するということができよう。さらに又、明らかに客観的事実に符合しない事実を包含する自白調書もある。たとえば、宮沢被告が堤被告らに金を贈つた日時について最初「土曜日で、朝五時長野発直江津乗換快速列車で十時新潟着午前中役所で堤に会つた」と述べているが、実は当時快速列車のダイヤはまだ実施されておらず午前中に新潟へ着く列車のないことが判明したため、後に「土曜日ではなかつた」というように供述をあらためているとか、又小海タクシー関係については公聴会が開かれなかつたこと、長野タクシー関係については陸運局としては免許不相当の意見を内定していたことがそれぞれ書類上明らかであるにかかわらず、当局者たる堤被告が前者について「公聴会が開かれた」と述べ、尾関被告が後者について「賛成の意見を述べた」と言つている各調書の記載が存するなどがそれである。これら一連の事実は、被告人らの供述が進んで真実を述べたものでなく、捜査官の方で、ある事実を仮定して被告人らに対し供述を強要ないし誘導したのではないかという疑念を生ぜしめるに足るものである。

およそこの種事件においては、性質上一般に目撃証人もほとんどなく、判断の資料となるような情況証拠にも乏しく、おのずから犯人の自白が重視されざるを得ないのにかかわらず、犯人はその立場として容易に不利益な事実を進んで述べることを欲しないのが常であるから、捜査上困難の伴うことは想像にあまりあるであろう。したがつてわれわれとても、単に言葉のはしをとりあげて末梢的な欠陥を指摘するような愚を演ずるつもりの毛頭ないことはいうまでもない。

しかし、本件においてはとくに捜査の端緒を願みる必要がある。当時長野県警察本部捜査課勤務警部で、本事件全体にわたつて捜査の総指揮をとつていた警察官川又正心の当審における証言によれば、警察当局においてたまたまある刑事事件捜査中一業者が陸運局の許可を受けないでモグリ営業をしていたことが発覚したので、当時陸運局に警告を発したことから、それ以来一般に営業免許の獲得について陸運局ないし陸運事務所と業者との間に何か不正が行われていないかと疑い、そのころ昭和二八年ごろから昭和二九年ごろにかけて自動車運送事業の新設免許を申請した全会社のリストを作つて内偵をすすめているうち、自動車の車体検査無籍車の不正登録等に関する長野陸運事務所関係者の収賄事件が明るみに出て、さきに本件で起訴後死亡した上村政衛が逮捕され、ここに本件の端緒を開いたというのであり、右証言と記録にあらわれた本件全体の捜査の経過とを案ずるに、右上村の最初の収賄被疑事件は時効か何かのため起訴不能となり、捜査当局においてその後同人を追求した末、本件のいわゆる長野タクシー事件がまず生れ、さらに関係者をいわば芋づる式にたどつて見込捜査をすすめた結果、次々に本件の他の事件に進展するにいたつた事情が推認されるのであつて、当時リストに上つた会社のうち半分以上が事件の対象となつたというのであるから、捜査にあたつた当局の労は多とせざるを得ないとしても、一たび見込を誤り、捜査の方法にいささかの無理でも加えられるならば、途方もない方向に事態が進展するおそれが決してなかつたとは言えないように思われる。しかもその見込捜査が具体的に何を資料とし、いかなる客観的基礎に立つて進められたかは、前記川又警部の証言ないし当審において取調べた当時の担当検察官であつた武井検事の証言その他記録によつても、ついに明らかにすることを得ないのである。ことに、右川又警部の証言によれば、内偵の結果自動車運送営業の新設免許を申請するについて陸運局に二、三十万円の金がかかることが判つたということで、おそらくこのことが、申請のあるところ必ず不正あるべしと推測し捜査を推進したのではないかと推測されるのであるが、その肝心な内容については単にそれだけでそれ以上何も具体的なことを聞くことを得ないのは残念である。記録について見ても、贈賄者側の被告、たとえば中島の警察官に対する供述調書中にも、「金を贈らなければ免許にならない」とか、「免許をとるには運動費を係官に使わなければ駄目だ」とかいう話を運転手や業者からも聞いたので本件贈賄を決意するにいたつたかのような供述が見られるし、その他の業者の被告人の供述中にも同じような言葉がしばしば散見されるが、いずれもどこの誰からどのような具体的な話を聞いたかは、ついに記録上あらわれないのである。(捜査の端緒を知ることがしばしば事物の真相をうかがう手がかりとなることは、われわれの実務経験の教えるところであるが、原審がこの点に考慮を加えた形跡は記録の上にみられない。)

そもそも本件捜査当局がいわゆる新設免許等について陸運局の決定と道路運送審議会の答申との関係についてどの程度考慮をめぐらしていたかは、川又警部、武井検事の証言によつても疑なしとしない。道路運送法によれば、道路運送審議会の意見は尊重しなければならない、と規定されており、取扱の実情に徴しても、従来陸運局の意見と道路運送審議会の答申とくいちがいを見せたもの十件あまりについて結局道路運送審議会の答申どおり決定を見ており例外を聞かないことは、関係者の当審における証言によつて明らかである。もちろん道路運送審議会の答申をきめるについて陸運局の調査意見も参考資料の一となるであろうということは想像にかたくないし、官庁の内部のことは一般局外者には必ずしもすべて判るわけでもないから、右のとおりの実情であるにせよ、なお業者が陸運事務所ないし陸運局の調査意見に期待することも必ずしも的はずれとは言えないかも知れない。しかし、もし捜査当局にしてしや般の事情に十分考慮を加えていたならば、たとえ、本件小海タクシー事件において、道路運送審議会委員たる宮沢被告が、しかも競願者なく公聴会も開かないで免許になつた小海タクシーの新設免許申請事件について、業者からの依頼とは言え、進んでこれを仲介し、陸運局長ないし陸運事務所長に対する贈賄の橋渡し役などをつとめるということの一応の不合理さに気づかないはずはなかつたであろうと思われる。

以上の次第で、本件の証拠の中心をなす被告人らの自白についてこれをそのまゝ採つて被告人らに対し有罪の言渡をなすことにわれわれは躊躇せざるを得ない。もちろん本件について犯罪の嫌疑が残らないわけではない。ことに原審公判の段階において当初なお自白を維持した山口ら一部被告人については、後にその供述をひるがえしたとは言え、その嫌疑の薄くないものを感ぜざるを得ないが、しかしそれとても、なお「貨物課長に現金入りの菓子折を持参したが不在だつたので、居あわせた課員に食べて下さいと言つて置いてきた」というような非常識な要素をも含んでいるのであり、またその他重要な点について捜査の段階においてした自白とはその内容を異にするものである。しかも本件はいくつかの事件を集めているが、さきに捜査の端緒について述べたように、いわば一本の根から派生したようなもので、その捜査の経過から見て、かれとこれと区別して自白の真実性を判定することは、当を得ないし、また事実ほとんど不可能に近いといわなければならない。

記録によれば、検察官は、現に起訴されている被告人に関する余罪中たとえば、小海タクシー関係について、中島被告が新設免許申請に際し柳沢被告を介して尾関被告に三万円を、また中込営業所新設許可申請に際し宮沢被告を介して尾関被告に一万円を各贈賄したとする被疑事実等について、関係者の自白調書が存するにかかわらず、嫌疑なきものと認め一部不起訴にしたと認めるほかないものの存することがうかがわれる。また原審も、起訴された事実の一部について、原判決摘示のとおり、関係者の自白調書を信用せず、証明なしとの理由により無罪の言渡をしている。しかし、かように嫌疑なく、または証明なしとされた部分と起訴し、または有罪とされた他の部分と相比較し、前者の自白を信用すべからざるものとして否定し、後者の自白を信用するに足るとしてこれを採用するというようなことは、本件においてはとうてい合理的なものとは考えがたいのである。

結局本件は犯罪事実を肯認するに足る証拠がないということになるのにかかわらず、有罪の言渡をした原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認を犯したものとして破棄を免れない。

よつて他の論旨について判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条によつて原判決を破棄し、さらに重ねて証拠調を行う必要を認める余地はないと考えられるので、同法第四〇〇条但書によりただちに自判することとし、本件は犯罪の証明がないものとして被告人全員に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 足立進 山岸薫一 土肥原光圀)

(別表略)

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